学生のころ、フランス語が必須科目だった。文法も発音も難しくて途中から全く諦めてしまい、テスト前は丸暗記していたものだが、フランス文学は好きだった。だからこそ、フランス語を履修したのである。とはいえ、フランス文学の心理描写が多く美しい表現も多く好きではあった。フランス語の講師の先生はちょっと名のしれた有名な方だったが、アンニュイ的な雰囲気のあるちょっと素敵な人だった。
その先生が授業中に青山の美味しいフレンチレストランを紹介してくれて、家族四人で食べに行ったことがある。そこにはフランス人のシェフがいて自ら注文を取りに来てくれた。姉と私は洋装、母は和装だった。そのちょっとイケメンのフランス人シェフは、母のところにばかり話をしにきた。そのフレンチレストランで何を食べたか忘れてしまったが、その母のところにばかり来ていたイケメンシェフの様子はよく覚えている。
姉が「着物を来た美しい日本女性だと思って来ているのよ」と冗談めかして言っていたが、帰る途中母が「私がもう少し若かったら、あのシェフに恋したかもしれない」と言って女三人で大いに盛り上がってしまった。あのフレンチレストランも今ではなくなってしまった。レストランの名前もまだ覚えているが。思えば両親と姉と私、もとの家族4人で東京で外食したのは、あれが最後だったかもしれない。今父はこの世の人ではなくなってしまい、母も年をとり、なかなか外出も思うようにできなくなってしまったが、あの日のフレンチレストランのほの暗い店内とシェフとまだ若かった和装の母の姿は今でも目に浮かぶ。